vol.106 辰野まどか

NOMAD global代表  URL:http://www.nomadglobal.jp/

1978年6月 兵庫県生まれ
1995年8月 17歳の高校2年生の夏休みを利用して
国際NGOの会議に参加するために、単身スイスへ渡る。
1997年8月 外務省外郭団体:財団法人国際協力推進協会インターン開始。
以後4年間働き、「国際理解教育・開発教育ハンドブック」編集に携わる。
1998年7月 日本各地で活躍する若者が集まるサロン(レストラン&バー)
「狐の木」立ち上げに携わる。
1999年4月 日本の中にある多文化を体験すべく、
新大久保百人町屋台村にて8カ国のアジアの人々に囲まれて働く。
1999年8月 内閣府主催:国際青年の村参加。15カ国の青年と交流。
2000年1月~12月 大学を休学し、Up with People World smart program (グローバル教育プログラム)参加。22カ国の青年と、世界80都市にてミュージカル100公演、80家庭ホームステイ、各種ボランティアを体験。
2001年8月 内閣府主催:東南アジア青年の船参加。
ASEAN10カ国と東南アジアをまわる。
2002年3月 NGO主催:セネガル・ガンビアスタディツアー運営スタッフ。
西アフリカにて参加型開発プログラムの実践をする。 
2002年4月 コーチング専門会社に入社。
ビジネスコーチ、研修、広報、営業、経営企画など様々な業務に携わる。   
2005年8月 同社退社後、SIT(School for International Training)米国大学院留学 異文化リーダーシップ、マネジメントを専攻し、50カ国のメンバーと、異文化トレーニング、社会起業についてなどを学ぶ。
2006年7月 米国教育NPO Up with People入社。
ロード・スタッフとして世界を周る。
グローバル教育コーディネーター、同窓生コーディネーター、メディアコーディネーターを兼任。
2007年11月 同社退職後、国連ニューヨーク本部にてCulture of Peace Student forumをメインコーディネーターとして開催。(30カ国対象)
2008年1月 内閣府主催:世界青年の船 教育コース・ファシリテータ(14カ国対象)として働き、インド、オマーン、シンガポールを船で周る。
2008年5月 TICADⅣ(アフリカ開発会議)にて参加企業のエグゼクティブ・アシスタントに。
日本アフリカ・インフラストラクチャー・ファンドを担当する。
2008年6月 NOMAD global 活動開始
2008年7月 内閣府主催:討議セッション企業の社会貢献コース・プログラム設計
・ファシリテータ(12カ国対象)となる。
2008年8月 香港NPO主催GIFT(Global Institute for Tomorrow)YLP(Young Leaders Programme)参加。
以後、日本におけるプロモーションをサポート。
現在は、グローバル教育を主軸に、研修、コーチング、講演、執筆、コーディネーティングを行う。

連載:雑誌「+ING(プラスイング)」クリエイティブなアイデアを社会に生かす(2008年9月~)
同時進行で驚きのあった経験、学びを得た経験などの記録に手を加えつつ、本にする作業中でもある。
関連サイト:NOMAD global http://www.nomadglobal.jp/
      グローバル日記 http://madoka602.seesaa.net/
      GIFT(香港教育NPO) http://www.globalinstitutefortomorrow.org/
      GIFT JAPAN(日本語)http://www.jobweb.co.jp/company/content/view/538/235
      GIFT カンボジアプロジェクト http://www.jobweb.co.jp/company/content/view/549/243/

問い合わせ先:(株)ジョブウェブ gift@jobweb.co.jp
Up with People(米国教育NPO):http://www.upwithpeople.org/
 

こんにちは! テトルの本村拓人です!! 今号から全3回にわたり、NOMAD globalの代表を務める辰野まどかさんにご登場いただきます。 辰野さんは17歳のとき、単身スイスへわたり、国際NGOの会議に参加しました。初めて本格的に海外に触れた彼女は、世界と自分が分断されたものではないことに気づかされショックを受けます。この経験から、グローバル教育、つまり世界の境界を取り外す教育が彼女のテーマになりました。 誰かと出会うことで自分の意識が変わり、新しい世界が目の前にパッと広がる。誰もがそんな体験をしたことがあるのではないでしょうか。出会いは人生の糧となり、自分を成長させます。でも、その機会を積極的に求める人は、まだまだ少ないのが現状なのではないでしょうか。偶然訪れる出会いに期待するだけでなく、積極的に出会いを求め続けると、自分に何が起きるのか。 新しい出会いを求めて、日々、旅の中にいるような辰野さんに、そのモチベーションのありかや、人とのよい出会いに恵まれるための方法論を伺いました。

あなたはいったい、何を言っているのですか!

辰野さんは、かなりオリジナリティのある経歴の持ち主ですね。これまで歩んできた道のりを、ざっとご説明いただいてもよろしいでしょうか。

はい。17歳のときにひとりでスイスに行き、国際NGOの大きな会議に参加したことが大きなきっかけになり、そこからいろんなことがはじまったように思います。高校2年生のときに、母から「誕生日プレゼント」ということで、旅するチャンスをもらったんですね。ところが母はちょっと変わっていて、「絶対ひとり旅でないと許可しません」と言うのです。

友達同士で行って行動を共にしたら、外国の方との交流が薄まってしまうと思われたのでしょうね。

母自身も若い頃から海外を旅してきた人だったので、経験からそう言ってくれたんだと思います。ちなみに、スイスの国際会議に行くように言ったのも母なんですよ。その国際会議は、50周年か60周年か、とにかく区切りとなると大きなものでした。私はそこに3週間滞在し、環境や都市といったさまざまなテーマで議論される場に参加しました。けれど、英語がさっぱりわからないレベルだったので、知り合った人たちと遊んだりしながら、なんとかサバイバルした感じでした。

単身で、英語すらわからないのでは、サバイバルにもなりますね。17歳が単身スイスにわたって国際会議の場に顔を出していること自体、ちょっと変ですもんね(笑)。

それでもなんとかやっていき、最終の3週間目に最後のミーティングがありました。ひと言ずつ感想を述べる機会が与えられたので、私はそこで精一杯良いことを言おうと思ったんですね。「世界中の人がここに集まって、毎日世界の平和について語っているなんて、本当にすばらしかった。こういう場所がずっと続いていってほしいと思います」って。我ながら、なかなかいいこと言ったぞ、と思っていたのですが、そのとき、ひとりの女性に「あなた、いったい何を言っているの!?」と、すごい剣幕で叱?りつけられました。 その声の主は、相馬雪香さんといって、難民を助ける会の会長をしていらっしゃる方です。議会政治の父と呼ばれた尾崎行雄の三女で、日本で最初にNGOを作った女性です。相馬さんとはたまたま分科会のグループが一緒だったんですね。 (※編集注:相馬さんは2008年11月8日に永眠されました。享年96歳)

相馬さんは、どうして辰野さんをしかったのでしょうか?

相馬雪香さんは、こうおっしゃったんです。「"続いていってほしい"じゃなくて、"自分の力で続ける"でしょう!? これからの時代を担うあなたのような若い方が、こういう場を作って行かなくてどうするんですか!」と。一喝されて、私はショックを受け、そして理解しました。ああ、そうか、と。私がやらなくてはいけないんだ、と。その瞬間、世界が変わりました。

なるほど。世界が第三者的なものではなくなったのですね。

私も熱いところがあるタイプなので、日本に戻ってから、ナホトカ号重油流出事故後の重油回収のボランティアを行ったり、刺激を与えてくれそうな人と積極的な出会いを求めたりするようになりました。17歳のスイスでのきっかけから、日本をよくしたいという気持ちがドカンと大きくなったんです。 そのような観点で活動しつつ、大学は留学しようと思っていた高校3年生のときに、ETICの宮城さんや当時、ネットワーカーとして活躍していた(株)RCF代表の藤沢烈さん、自由人で青年実業家でもある高橋歩さんなど、イキイキと20代を生きている人たちに出会ったんです。COP3、京都会議が盛り上がっていた時期でもあり、全国の学生がつながりながら、なにかムーブメントを起こそうとしているのを感じました。そして、今、海外に出るのはもったいない。日本が面白いぞ!とそのまま日本での大学進学を決めました。大学生1年生の頃にはBorderless(ボーダーレス)というサークルを作り、また、Borderless Network Partyを主催していました。という催しに参加していました。これは、これからの時代を作る人と人を繋げようという活動でした。

理念がすばらしくても、ビジネスができないとダメなんだ

おもしろそうな人としっかりと出会えていますね。

そうですね。当時、インターネットが本格的に普及して、ネットワークがいたるところで構築されていましたし、色々な人や場に出会うために日本各地を周りました。国内にいる同世代の"おもしろそう!"と思った人にはほとんど会えたんじゃないかと思います。 それで、今度は世界を見に行かなくっちゃと思って、大学を休学してUp with PeopleというアメリカのNPOに参加することにしたんです。Up with Peopleは、世界各地を訪問しながらミュージカル公演やボランティア活動、国際教育活動を行う団体で、22カ国120人のメンバーと1年間、80都市ほど長い旅をするんですよ。これ、実は私の母も若いときに参加した団体なんですね。母が参加したときは、団体が立ち上がって間もないころだったのですが、私の参加した回を最後にこの団体はつぶれてしまうんです。

どうしてつぶれてしまったのですか?

資金の問題ですね。その頃、非常に挫折を感じたのは、私が参加したいろんな団体や活動が、資金不足ゆえに撤退していったことです。Borderlessを通じて立ち上げに関わったレストラン&バーも終わってしまったし、大学生の頃にインターンをしていた財団も事業縮小してしまいました。 そのときに感じたのは、どんなにすばらしい理念を持っていても、ビジネスができなければだめなんだということだったんです。それできちんとビジネスを理解しようと思って、大学を卒業してからコーチングの会社に入社しました。内定をもらったのは2001年でした。

コーチングという概念は、その頃まだ珍しかったですよね。

おっしゃる通りですね。私は海外でその言葉を知り、関心を持ったんですよ。インターネットでコーチングという言葉で検索をしても、まだ少ししか情報が出てこないようなときでした。その数少ない情報を手がかりに、仕事を探したんですね。 後々、コーチングという言葉はすごく流行りましたが、入社したのはその言葉を広めた草分けのような会社です。社長がかなり時代の先を見る人物だったんですね。立ち上がりたてで少人数の会社だったので、経営のこともよく見えました。それに、コーチ業を通じて経営者の方々や、たくさんの職種の人たちに会うこともできたので、ビジネスについて多くのことを学ぶことができました。

固定観念が壊されてガーンとなる瞬間が好き

でも、そこも辞めてしまわれたのですね。

3年弱いて、かなりみっちり勉強することができましたし、コーチングもある程度普及したことに満足感を得ていました。そして、コーチングと学生時代から取り組んでいたフィールドとを繋げるべく、会社を辞めて、今度はアメリカに留学をします。海外経験を重ねて、いろいろな国の人と交流するなかで私が強く感じたのは、異文化に対する理解の低さでした。お互いがお互いのことをあまりにも知らないんですね。そして、自分の国について無知でいたことにも気づかされます。正しく日本の歴史や文化を伝えることがすごく難しいんですね。 それと、外国の方と話をすると、いかに自分が固定観念の中に生きているかということもよくわかります。たとえば、「まどかは寿司が握れるの?」って海外の人によく聞かれるんですよ。私は、「あれは職人が長いこと修行してできることだから、私にはできない」って答えるんですね。日本人は大抵そう答えるんじゃないでしょうか。ところが、外国の人はこう続けるんですね。「そんなに難しく考えずに、楽しみとしてやればいいのに」って。 その言葉を聞いた私はガーンとなるわけです。寿司なんて、酢飯と魚があれば、下手でもなんでも握れますよね。私はせっかく日本人なのに、そういえばなんで握ったことが一度もないんだろうって考えることになるわけなんです。結局、寿司は熟練の職人が握るものという固定観念に縛られていただけだったんですね。このように、凝り固まった考えが壊される瞬間が私は好きなんです。

確かに、僕も寿司を握ったことがないですね。

そのような異文化交流の中で、新たに生まれてくる感覚。これを育むもうとすることが、自国への理解にも繋がります。やっぱり、外国の方に日本について尋ねられて、答えられないのって恥ずかしいじゃないですか。戦争についての知識など、外国の方のほうがよく知っている場合もありますからね。 私は、異文化交流によって他国(他者)と自国(自分)を理解していくことをグローバル・エデュケーションと呼んでいて、これがいまの活動のテーマにもなっているんです。コーチングの会社を辞めた後に留学したのは、このグローバル教育を教えるスクール・フォー・インターナショナル・トレーニング(SIT)という大学院。生徒に50ヵ国もの人がいて、みんなでどうすれば多文化共生を実現する教育を作っていけるかを考える大変おもしろいところでした。

刺激がたくさんありそうな環境ですね。

そりゃあもう。毎日濃かったですね。その後は、私が参加したUp with PeopleというNPOが復活したので、教育コーディネーターとして参加させてもらったり、国連のニューヨーク本部とUp with Peopleを繋げる活動をして、カルチャー・オブ・ピースという会議をオーガナイズしたりしていました。再び帰国してからは、自分でNOMAD global(※ノマド:遊牧民の意)という看板を掲げて活動をしています。

Word of power

●瞬間、世界が変わりました
●色々な人や場に出会うために日本各地を周りました
●会社を辞めて、留学しました

辰野さんが描く人生観や仕事観は、スケールが大きく、また捕らえどころのないものです。船に乗って世界をめぐった経験と同じように、彼女の人生もまた大海原を行く一隻の船のよう。次回は、国際感覚を磨く辰野さんに、良い出会いに恵まれるコツと、現在の関心事についてお伺いします。

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